皆さんは「リーガル・ハイ」というドラマをご存知でしょうか。
堺雅人さん演じる訴訟で一度も負けたことがない敏腕弁護士(古美門)と新垣結衣さん演じる新米弁護士(黛)の2人が繰り広げる法廷コメディドラマです。
私は、「リーガル・ハイ」の中ですごく印象に残っているシーンがあります。
それは、建設会社と住民との間でトラブルが起きたとき、
薫は正義は住民側にあると思い、クライアントである建設会社にとって不利となる情報を住民側に伝えてしまいます。それを聞いた古美門は、ある工務店の前に薫を連れていき、こう話します。
この工務店は、ご主人を仕事中の事故でなくした奥さんが女手ひとつで切り盛りしており、非常に苦しく倒産寸前だ。
だが、首の皮一枚つながっているのは、ご主人の古くからの友人である建設会社の社長が手を差し伸べて、下請け仕事を回しているからだ。
建設会社が苦境に陥れば彼女も苦しむことになる。
その後工務店のご主人が帰ってきて、すべて作り話だとばれてしまいます。
しかし古美門は、今の話を聞いてどう思ったか、黛に問います。
もしその工務店が自分たちの知らないどこかに実在していたら、と。
実体はなにも変わらないのに、背景を知ると、見方が 180°変わる。
それはお家探しにおいても同様かもしれません。
本来の目的は忘れ去られて、名前だけが切り取られている。
「荒川」について、今回は書こうと思います。
荒川の近くと聞くと、はなから難色を示される方がいらっしゃいます。
ハザードマップの浸水想定区域にかかっていることが多いためです。
しかし、「荒川」という語感、また、ハザードマップといった一面のみにフォーカスしてしまってよいのでしょうか。荒川にはもうひとつの側面・成り立ちがあります。
話は約400年前に遡ります。
元々荒川は大宮台地北部から埼玉県を通り、利根川に流れている川でした。
1629年、徳川幕府は川越から江戸までの水運確保のため、荒川を現在の熊谷市久下付近で締め切り、そこから南にむけて新しい河道を開削し、入間川筋を本流とする流れに変えました。
そして元々の利根川に流れていた原形の荒川は「元荒川」と呼ばれるようになりました。
新荒川の最下流部(浅草辺り)からは「隅田川」と呼ばれ、江戸~東京を代表する川になりました。
ところがこの「隅田川」は毎年のように洪水を起こし「荒ぶる川」として大きな水害をもたらしました。
数ある水害の中でも1910年、明治以降荒川最大の洪水が起こりました。利根川の洪水と合わせて埼玉県内の平野部全域を浸水させ、東京下町にも甚大な被害をもたらし、
記録によると、8日間連日降雨、10日目には暴風雨となり、荒川は未曾有の大洪水となったそうです。
これを契機に、明治政府は抜本的な治水計画に乗り出します。
隅田川の洪水を防ぐために、岩淵水門(現在の赤羽辺り)から先は荒川放水路というバイパスに分けて、海に放流するという計画です。
約21kmの放水路を新たに開削することが決定し、約20年の歳月をかけて工事が行われました。
これによって、東京下町低地は荒川による水害からほぼ完全に免れるようになりました。
例えば、荒川は東京都・埼玉県にまたがっており、ひとたび大水害が起これば当然経済的損失も計り知れないものになります。
そのため今では放水路としての機能がさらに強化され、上流から下流まで一貫した計画のもと、多目的ダムの設置など、さまざまな治水事業が展開されています。
また荒川の水は東京都民と埼玉県民の飲み水としても利用されています。
1964年の河川法改正で、この放水路が正式に「荒川」の本流になり、 隅田川は別の川になりました。
元々荒川から人々を守るために作られた「荒川放水路」は、
数々の水害をもたらした「荒川」の名を受け継ぎ、
今も人々の暮らしを支え続けています。
ここまでの話を踏まえた上で、荒川に対し抱く感情は、決してネガティブなものだけではなくなったのではないでしょうか。むしろ、治水事業による生活に寄り添った川として感謝の側面も見えてきたのではないかと思います。
物事の背景を知ることで、意外な発見や気づきがあり、これまで見られなかった側面が現れることがよくあります。フラットな視点で物事の背景を知ることは、自分自身の価値観の創造にもつながっていくのだと思っております。
当たり前だと思っている物事の違う側面を見るべく成り立ちを調べてみるもの良いかもしれません。
東京支店 営業 I・Y